バーリ・コンサートソサエティ・オーケストラは、2004年以来、ペトルッツェッリ劇場のオーケストラ(Theatre Petruzzelli’s Orchestra
of Bali)の、芸術的伝統と歴史ある文化を受け継いで楽団として、現在の名称のもとイタリア国内のみならず、国際的にも活躍。
この名称として再結成されてからは、まだ新しいオーケストラではるが、プーリア州と南イタリアにとっては誇りとする楽団で、文化的成功を短期間で達成した。
オーケストラは1985年にFerdinando
Pinto(後にペトルッツェッリ劇場の管理人)の下で創立された。オーケストラの聴衆は地元での活動に留まらず、瞬く間に全国的、国際的に領域を広げていった。 オペラ・シーズン中は数々の演奏を行い、歌劇場の誕生から1991年の劇場の火災があるまで、で聴衆に活気と興奮を与え続けてきた。
このオーケストラは発足以来、世界的に名高い指揮者の下で演奏している。
その中にはクラウディオ・アバド、ダニエル・オーレン、ドナート・レンゼッティ、フランチ、エヴェリーノ・ピド、ダニエレ・ガッティ、アルベルト・ゼッダなどの著名な指揮者の名が連なる。
また、世界的な歌手、プラシド・ドミンゴ、カティア・リッチャレッリ、ルチアーノ・パバロッティ、ピエロ・カプッチルリ等とも共演を果たしている。
それから、作曲家、ジャンカルロ・メノッティ出席の下、オーケストラは「マリア・ゴロヴィン」を演奏し、Spiros Argiris指揮でオーケストラデビューを果たした。
新しいオーケストラにも関わらず、卓越した技術と音質を持ち音楽界にオーケストラとしての頭角を表し、名誉ある音楽祭に定期的に招待を受けるなど、確実に世界に名を広げている。その音楽祭の中には、スペインのグラナダ、フランスのリール、ロシアのレニングラードとスポレートなどに出演している。1987年にはエジプトのカイロで「アイーダ」を演奏し、大成功を収めた。その後にピッチンニの「トーリードのイフィジェニー」をパリ・シャトレ座にて演奏、ロッシーニの「セルビアの理髪師」をブラジルのリオ・デ・ジャネイロとサンパウロ、そしてオーストラリア誕生200年祭のためツアーを行った。
1991年、ペトルッツェッリ劇場が火災で破壊するという悲劇が起きた。しかしそんな災難を乗り越え、オーケストラは自ら立ち上がり、芸術文化協会(artistic-cultural
association)の傘下で、再結成を果たす。彼らの熱意、そしてすばらしい音楽的技術が認められ、劇場のオーナーが劇場の名をオーケストラ名に含むことを公認した。そのため、現在でも「Orchestra
Filarmonica del Teatro Petruzzelli」として活動を続けている。
活動中も、オーケストラは劇場の再建を願い、数々の公演を行いながら、「Omaggio a Verdi」のCDレコーディング(ソニー・マスターワークス)も行い、資金集めに力を注いだ。
2001年には、地域のオペラ公演では欠かせない存在となり、ピッチンニ劇場でのオペラ・シーズンの封切をアーノルド・ボスマン指揮の下、ピッチンニの「Dydon」で飾った。
その演奏はジェノヴァのDynamicレーベルの収録もあり、世界の音楽評論家たちの評価をえた。
2004年、Lyric-Symphonic Foundationが「Petruzzelli e Teatri di Bari」を設立したのに平行し、オーケストラは独自のマネージメントを立ち上げ、現在の名称である、「Orchestra
della Societa dei Concert di Bari(バーリ・コンサートソサエティ・オーケストラ)」という名で、その後、新たなスタートを切ることになる。
バーリ・コンサートソサエティ・オーケストラという正式名のもと、2004年7月活動を開始。
”ミラノ・ピッコロ劇場(Piccolo Teatro di Milano)“と、ジョルジオ・ストレーレルの共同制作による、モーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」をイスタンブールのアタチュルク劇場で公演を行った。
その公演も聴衆と批評家の絶賛を受け、再び共同制作のプロジェクトの依頼を受けた。
2004年9月には「コジ・ファン・トゥッテ」をローマのキリノ劇場(Teatro Quirino)で演奏、11月にはスペインのビルバオとパンプローナ、2005年はカンタザーロ、モスクワとフランスのリオンで公演を行った。2006年はサンクト・ペテルブルグと中国でのツアーを予定している。